木曽三川へ~泉州水防事務組合視察
木曽三川。左から木曽川・長良川・揖斐川です
先週の木曜日・金曜日(10月17日・18日)に、泉州水防事務組合の視察で木曽三川、名古屋港、瀬田川洗堰に行ってきました。
泉州水防事務組合というのは、堺市・高石市・泉大津市・忠岡町で構成されており、この区域の水災を警戒し、防禦し、およびこれによる被害を軽減するために必要とする事務を処理するために設置されているものです(組合規約第3条より)。
このたびの視察では、伊勢湾台風によって甚大な被害を受けた木曽川水系における水防の現状についてをまず初日に勉強しました。そもそもこの水系では三川が網の目のように流下していたそうで、鎌倉時代に輪中(中学校で習いました!)が形成され、江戸時代には御囲堤(これは習ったかも…ですが覚えてません(/_;))が築造され、水害から地域を守っていました。明治時代にはオランダ人技術者ヨハネス・デ・レーケの策定した計画に基づき25年間かけて三川が分流され、ほぼ現在の形となったそうです。
しかし、昭和34年9月26日に襲来した伊勢湾台風による死者数は三重・愛知・岐阜の三県で4487名となり、流失・全半壊家屋は16万戸を超えました。しかも海抜0メートル地帯が多かったため、最長で120日間も浸水していたそうです。
そこでまず高潮堤防の補強から始まり、現在は堤防の耐震化や液状化の対策をされています。さらに水防活動や緊急復旧活動を行う上で必要な河川防災ステーションの整備にも着手し広域防災ネットワークの構築にも取り組んでおられるということでした。
泉州水防管内の大和川でも、私が高校生の時(昭和57年)に豪雨により溢水し家屋の被害が出たことを思い出しました。堺市の職員の方に伺うと、直後から堤防の補強をされたためその後は一度も水は溢れていないそうです。先日の台風18号でも避難勧告が出されていましたが、被害はなかったということでした。
今後の水災防止の問題点のひとつは津波の遡上だと思うのですが、木曽川水系では高潮対応でレベル1の津波には対応できる、ということでした。レベル2の津波については堤防で守るのではなく、ソフト面での対応=逃げる!ことを考え、広域避難対策の検討もされている、というお話も質疑の中で出てきました。高石市でも王子川や芦田川についての対応が必要です。11月5日には3回目の津波避難訓練が実施されますので、ソフト面での対応ということでしっかりと取り組まなければならないと思っています。
2日目の名古屋港では浮体式防災基地と平成の大改修が行われている高潮堤防整備事業を見学しました。さらに琵琶湖の瀬田川洗堰では淀川の流量コントロールをしている堰の見学をしました。これも先日の台風18号で堰を41年ぶりに全て閉めたため滋賀県に被害が出たとして、嘉田知事が下流の自治体に損害額の一部負担を求めた、という話がニュースになっていましたが、こちらも堺市の職員の方に尋ねると「一部負担は出来ないでしょう」とのお答えでした。
全行程をバスで移動したので帰ってきてからも暫く腰が痛かったのですが、今日は回復し元気に動き回れました(*^_^*)