戦没者追悼式と地震
2016年10月24日
21日(金)は農地パトロールの後、アプラホールで行われた戦没者追悼式に参列しました。私の大叔父(祖父の弟)も戦死していて、祖父が存命の頃は時々その話を聞いていました。追悼式では高石市での戦没者名簿に対して献花をしますが、鳥取出身の大叔父も彼の地で追悼して頂いていることと思いを馳せながら毎年参列しています。
さて、2時開式の追悼式で黙祷を捧げているまさにその時、会場内に地震発生を知らせる携帯のアラームがあちらこちらから鳴り響きました。えっ!と思って目を開けると数秒後に舞台上の看板が大きく揺れ、足下にも揺れを感じました。
私は「避難した方が良いのでは?」と思いつつも、何らかの指示があるだろう、と待ちました。しかし、一旦黙祷を中断し着席を促す司会者の言葉はありましたが、避難については言及はなく、暫くの中断の後、式は再開されました。
結果として、遠い地の地震でもありそれ以上の揺れなどはなかったため事なきを得ました。
私は3月議会で、アプラホールでの避難訓練コンサートを提唱しました。まさしく今回のような時に、係員や観客が適切な行動をとるための訓練です。今回、私も含め「どうしたら良いのか」とは思いつつも避難行動を取ることが出来なかったことは、今後に課題を残しました。
発災時に様々な場面で出来るだけ安全の確保がスムーズに行えるような平素からの準備・訓練が必要です。これからも対応を求めていきます。