学校で憲法を語るつどい

8月5日は京都市内で行われた「学校で憲法をかたるつどい」に参加しました。

かつての同僚に誘われたもので、いま学校現場では憲法はどのように扱われているのかに興味があったので行ってきました。

印象に残ったのは現役大学生の「憲法教育を受けてきた立場」からの言葉と、ずっと教育現場を取材している朝日新聞記者の話です。

大学生は「公民での憲法教育は全く面白くなく役立たなかった。その理由は抽象的・演繹的であったから。翻って保健の授業での『未成年の飲酒・喫煙の禁止』という内容での憲法の話は具体的かつ帰納的であり身についた。武器を与えて使い方を教えないような教育はアカン。教育は人生を受け継ぐもの。」と語りました。彼は教員を目指しているそうです。参加者は8割以上が教員だったと思うのですが皆が一様に「うーん…」と感心していました。

記者の話は「今ほど教員が学校現場で社会を語れなくなっている時代を知らない。東京では学級通信を出すにも『ゲタ印』という学年主任・教務主任・教頭・校長それぞれの印が四角の中に押してあるものが必要となっている。『教育の壁』という特集記事を数週間掲載したが、“貧困の壁”の回より“政治の壁”の回が数段難しかった。先生が語れなくなっている。11人に取材して7人に掲載許可をもらったが、ドタキャンが相次ぎ掲載出来たのは3人の先生の話だけだった。現場ではどのようなことが起こっているのか注目していきたい」とのことでした。

日本に限らず、国というのは放っておくと国民の権利を守らない方に動くことがあります。戦争などは最たるものです。そんな国に対して国民が「待った」を掛けるのが憲法です。憲法を守らなければならない(憲法尊重擁護義務のある)人は憲法99条により「天皇・摂政・国務大臣・国会議員・その他の公務員」となっていて「国民」は含まれていません。法律を作ったり、必要があれば国民を逮捕したりする「公務員」は憲法に立脚して公務を行うことが求められます。それは「立憲主義」と言われます。

国民は憲法を守る立場ではなく守らせる立場である、といえます。このことを忘れずにいようと思います。

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